2018年3月19日月曜日

【学問のミカタ】さくらの季節


環境経済学担当の野田です。2017年度最後の経済学ブログとなります。私自身もこれが最後の執筆となります。

3月は桜の季節ですね。皆さんの思い出の桜はどこでしょうか。
私は大学・大学院を過ごした国立の桜並木が、いまでも一番思い出深い場所です。もう少し経てば、多くの人が国立の桜を見に行くのではないでしょうか。

<2012年3月の大学通り>

国立の桜並木は、住民の方々によって植えられ守られてきました。並木の高さを超えないように住宅やビルを建てることが、自主的に守られてきました。その結果、大学通り全体の景観の価値が高まっていったのです。

吉祥寺、赤羽、札幌など、街はそれぞれ独自の特徴を有しており、住人を獲得するために競争しています。国立は新宿など都心から少し遠く、中央線しか電車の交通手段がないというデメリットがありますが、大学通りの並木という希有な財産を持っています。

若い人ほど、モノやコトの価値を吟味する世の中になってきたので、美しい景観という希有な財産を維持することこそ、国立の魅力維持につながるでしょう。

ただ忘れていけないのは、この景観の価値は勝手に維持されているわけではない、ということです。景観の便益だけを得てその維持コストを支払わない人ばかりになると、この景観はすぐにだめになります。景観の価値を持続的に維持させるために、便益を得る人間とコストを支払う人間との乖離をできるだけ防ぐ必要があります。

たとえば、桜の根元でお花見をし、ゴミを捨てて帰る人がいれば、それは便益だけを享受しコストを支払っていないことになります。根元が痛めば桜の寿命に影響し、ゴミ処理費用もゼロではありません。

こういったコストが高くなれば、お花見自体できなくなるかもしれません。美しい景観を末永く享受するために、あえて適切なコストを負担するという発想がとても大切なのです。

人間も町も変化する部分と変化しない部分があります。
街を観察するということは、社会の変化を観察することを意味します。
ぜひ皆さんも、自分の好きな場所を探し、社会の変化を感じとってください。

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