経済学部の井上です。今回のブログでは、新卒一括採用について考えてみたいと思います。
新卒一括採用がなくなる?
今年の4月に新卒の一括採用に加え、通年での採用も含めた多様な 形態に移行することで経団連が大学側と合意(注1)したという報道があり世間の注目を集めました。この合意を受けて、これまでの3月広報解禁、6月面接解禁というルールが廃止されることになり、2020年度以降の就活については通年採用に移行することになります。同時に春の新卒一括採用中心の仕組みも見直し、専門スキルを重視した「ジョブ型採用」もふくめて多様な形態に移行する動きもも始まります。
この合意された提言の内容については新卒一括採用そのものが廃止されるとの誤解もあったようです。しかし、提言は実際には新卒一括採用以外の中途採用などの複数の採用手段を確保することなどを想定しており、現段階で新卒一括制度を完全にやめてしまうことまで意図したものではありません。
実はこの合意は日本型雇用という視点から見るといろいろな問題を提起する重要な提言となっています。もともと2020年の新卒採用についてはオリンピック開催の影響で大学生のボランティア参加などの要請もあり、これまでの就活ルールでは対応できないため、採用時期を前倒しする必要があることは認識されていました。しかし、昨年10月の経団連会長の発言が、採用手続の時期の前倒しにとどまらず、ルールそのものを廃止してしまうというより踏み込んだ内容となったことを受けて、実際に2020年以降の就活がどのような形になるかについて様々な議論が行われてきました。
採用手続の時期に関するルール廃止だけでも学生に与える影響は大きくなるでしょうし、さらに新卒一括採用の位置づけを変更することになると日本型雇用にも大きな影響もおよぼすことになります。
以下では、特に大学生の視点に立って今回合意された内容について考えてみたいと思います。
大学生にはどのような影響が出るのか?
まず2020年以降に就活を行う大学生に直接影響を与えるのは採用の通年化でしょう。
就活の時期に関する2015年以降のルールは政府主導で決められたものです。それまでは4月面接解禁というルールでしたが、これが大学生の学業を阻害しているという理由などから8月まで後ろ倒しされました。これはその後6月に前倒しされましたが、実際には4月解禁に比べて4年生の大学の学業に与える影響が深刻化し、当初の目的を達したとは言いがたい結果となっているとの批判があります。採用時期の後ろ倒しは留学生などのチャンスを広げるという事も意図していましたが、そもそも留学生の規模が限定されている状態では目立った成果を上げたとは言いがたいでしょう。
では今回の合意にしたがって採用時期に関するルールを廃止した場合に何が起こるのでしょうか?海老原氏が詳細に解説してるように(注2)採用の超早期化が起こることが予測されます。
すでにルールが存在しなかった1997年から2002年の間にまさにそのような状態となっていました。ルールがなくなればこれが再現するでしょう。この場合、大学生も企業にも深刻な損失が発生します。大学生は早期から就活を持続する必要があり、長期間にわたって学業が阻害されることになります。企業も早期に内定を決めた学生を長期間かけて大学生を囲い込もうとするでしょうが、実際に最終的に採用が実現する保証はなく、優秀な学生ほどより条件の良い他社に流れてしまうことになります。
就活に関するルールは既得権益者を保護するために市場にゆがみを与えるような参入・価格規制とは異なる役割を果たしていることを理解する必要があります。学生を採用しようとする企業がルールなしに勝手な行動をとってしまうことが、企業にとっても大学生にとっても望ましくない結果に終わるという状況は、ゲーム理論における囚人のジレンマに似たような状況とも言えます。ルールなしで相手の裏をかきながら先手を取り合う中で、参加者全員が疲弊してしまうような状況に比べると、参加者がルールを決めて協調的な行動をとる結果、参加者全員にとってよりよい状況を作り出すことができると考えられます。
企業には節度ある対応が求められるとしても、現実の過去の実績をみるとルールなしの通年採用が行き着くところは採用の超早期化に逆戻りすることになる可能性が高いでしょう。もしそうなってしまった場合には、大学生としては受け身の対応とならざるを得ません。自分自身で学業とのバランスをいかに確保するかを考えるしかないでしょう。
大学生の立場から見れば学業への影響を考慮しながら企業側で何らかのルールを決め、それを遵守する対応が望まれます。
新卒一括採用で得をしているの誰か?
今回の提言を受けて、新卒一括採用の見直しについて新聞などのメディアでは歓迎する声が多いようです。日経新聞の社説でも「新卒一括採用の見直しは時代の要請である」と主張しています(注3)。
もともと新卒一括採用は大学生にとって酷な仕組みであるとの批判がありました。その理由としては、就活で短期間のうちに一生の勤め先となる企業を見つけることは難しいこと、一度限りのチャンスなので就活に失敗するとアルバイトのアドの非正規雇用になってしまい、そこから正規雇用に転換することは不可能となることなどがあげられていました。このような就活のなかで学生が受ける精神的なストレスも大きく、新卒一括採用は学生にとって過酷な仕組みだという見方につながったようです。
さらに1990年代の就職氷河期と呼ばれる時期には,大学生の就職が難しくなっているのは、過去に採用されて社内で余剰人員となっている中高年のせいで、彼らを容易に解雇できるようになればやる気のある若者の就職のチャンスが広がるという主張もありました。これは新卒一括採用をやめて一般労働市場で新卒も既卒も競争を行うことで雇用流動性を高めるべきだという考え方でした。雇用流動性を高めることは労働者間の競争を促進し、生産性の向上につながるという考え方もあります。今回の経団連の動きもこの主張の延長線上にあると考えられます。
しかし、新卒一括採用をやめて、雇用流動性を高めるという制度改革は本当に新卒を中心とする若者に利益をもたらすでしょうか?雇用流動性が高い海外の実績を見る限り全く逆の結果をもたらすことになると言えます。
新卒と社内で余っていて解雇された中高年が一般労働市場で同じ条件で争った場合に,やる気のある若者が勝つという主張は夢物語のように聞こえます。実社会での仕事に関して全く無経験の若者が、社内で能力は発揮できなかったとはいえ長年の勤務実績を有する中高年と採用面接で競争すれば、中高年が圧倒的に優位な立場に立つのは当然です。実際に雇用流動性が高いアメリカでリーマン・ショック以降の深刻な不景気な時期に大量の失業が発生した際には、職を失った中高年が賃金をダンピングしながら職を必死で探した結果、若者は低賃金の劣悪な職種でしか職を見つけられないという悲惨な状況になってしまったことを考えると、雇用流動性の高い社会の行く末が見えてきます。
新卒一括採用はいわゆる日本型雇用と密接な関係があります。日本型雇用の特徴としては,一般的にには終身雇用、年功賃金、企業別労働組合などがあげられます。しかし、これですべてが語り尽くされるわけではありません。終身雇用とは、言い換えれば長期雇用関係の約束であり、その約束のなかで雇用者は様々なポストを経験することになります。場合によっては地域、職種、同僚などを大幅に変更しながら個人の能力発揮の機会を何度も試すことが可能になる仕組みになっているのです。新卒の段階では潜在能力が問われるものの、個別業務に関する能力の審査までは行われません。
新卒一括採用は勤務実績のない状態の学生を企業が受け入れることを可能にするという点で、実は若者にっとって極めて有利な仕組みになっているのです。
これは企業にとってもメリットがあります。新卒一括採用は、単に大量生産を可能にするための技能を蓄積させるだけの時代遅れの制度として簡単に片付けられるのもではありません。日本企業では、特に文系総合職採用の場合は無限定型となり、特定の職務内容に縛り付けるような契約関係にはなりません。長期的な雇用関係の中で様々なポストを経験することで、社内で必要とされる能力を有する人材が自然に形成される仕組みになっています。この結果、定年を迎えたなどの理由で有能な人材が退職する場合でも、社内での異動、昇進などで柔軟に補充することが可能となっているのです。
これに対して海外で採用されているジョブ型採用のシステムでは、求人対象となる勤務内容が厳格に規定されおり、その条件を満たした候補者だけが選考の対象となる仕組みなっています。これが新卒者にとっていかに過酷な仕組みなっているかは考えてみれば容易にわかるでしょう。勤務実績がない新卒者はそもそも競争の入り口に立つことさえできないのです。これを克服するために、欧州ではインターン制度が存在します。しかし、この実態はほぼブラック企業に匹敵するような搾取の構造となっています。学生としては勤務実績を作るためにはこのルートをとること以外に選択の余地がないので、過酷な条件の下で働くしかありません。
新卒一括採用を放棄し、ジョブ型採用を中心とする中途採用に移行することが、いかに若者に対して過酷な制度変更になるかは、ジョブ型採用をとっている海外の事例を見れば明らかです。今回の提言では、ここまで明確な方針転換は示されていません。しかし、経団連の発想の根底にあるのは雇用流動化に向けた動きであり、その前提にジョブ型雇用が想定されていることには注意が必要です。ジョブ型雇用への移行は、企業内でのOJT(on the job training、職場内教育訓練)の放棄につながる恐れがあります。実際、提言の中には専門的な職種については企業内で育成しきれないとの記述もあります。これは企業としての人材育成の責任放棄であり、その結果は専門的技能を有する人材の労働市場での奪い合いにつながるでしょう。
日本の労働市場に占める中小企業の重要性
ただ視点を変えてみるといわゆる日本型雇用が適用される範囲はかなり限定的であることも事実でです。日本の雇用者のうち7割が中小企業であり、新卒で見ても大卒者の大手企業での採用は2割程度です。典型的な日本型雇用制度が適用される雇用者は大企業の男性正規採用の職員に限定されてきたという実態を考えると、これまで論じてきた制度変更による影響を受ける範囲はある程度限定されるかもしれません。
逆にみれば、新卒の大部分を占める中小企業での雇用状況は元々かなり流動的で、よりよい職場を求めての転職も柔軟に行われていました。よく言われる多くの若者が3年以内に会社をやめるという実態は、むしろこうした雇用流動性の高さを示すものとも言えるでしょう。さらに大企業もすでに第二新卒などを含めて中途採用には柔軟に取り組み始めており、雇用流動性についてはすでに日本でも十分確保されてきているのが実態だと言えます。
ただ,その場合でも優良な中小・中堅企業は新卒採用を重視しているにもかかわらず、むしろ充足できていないという現実もあります。
大学生の立場を考えた現実的な就活対応への期待
就活を行う大学生の大部分には、最終的には堅実な中小・中堅企業の正職員として就職する道が開けており、その後も自分の意思で実績を示しながらさらに納得のできる転職の可能性もあるのです。こうした現実を理解できない学生は、ルール廃止の通年採用の下でははいつまでも大企業幻想にとらわれて就活を続けてしまう恐れがあります。こうした状況を回避するためには、大学生と中小・中堅企業とのマッチングの機会を確保する努力を続けていく必要があります。
過去の実績を踏まえて予測できるのはルール廃止の伴う混乱の発生です。企業、政府、大学が責任をとることを嫌いルール廃止が実現してしてしまうと、企業にとっても大学生にとっても採用の超早期化による不幸な結果がもたらされることになるでしょう。何らかの形で採用手続について、学業にできるだけ支障のないような開始時点を明確に規定するようなルール作りを目指して、関係者の再度の意見調整がなされることが望まれます。
就活に際しては、日本経済全体の中での日本型雇用の実態について学生もしっかりとした理解を持って自分自身の就活に取り組む必要があるでしょう。就職することによって社内で自分がどのようなキャリアパスをとることになるのか、それによって自分はどのような能力を有する働き手になるのか、その結果どのように会社に貢献することになるのか、自分自身で考えながら就活を行うことが必要です。
企業側もいたずらに自社の短期的な利益を優先するのではなく、しっかりとした長期的なビジョンも持って採用活動を行う必要があります。短期的なコストを省くことを優先して外部からのジョブ型採用を増やし、自社内での人材育成を放棄することは、短期的には費用削減効果は持つかもしれません。しかし、これが長期的に有能な新卒社員を安定的に確保することが難しくなるという効果をもたらすことにも留意する必要があるでしょう。
注1:「採用と大学教育の未来に関する産学協議会 中間とりまとめと共同提言」、採用と大学教育の未来に関する産学協議会、2019年4月22日(https://www.keidanren.or.jp/policy/2019/037_honbun.pdf)
注2:海老原 嗣生、「就活を「自由化・通年化」しても、うまくいかないこれだけの理由」(https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZZO3578154026092018000000)
注3:「新卒一括採用が企業の成長を阻んでいる(社説)」、2019年月24日 、日本経済新聞
参考文献
海老原嗣生(2010)『「若者はかわいそう」論のウソ』扶桑社
海老原嗣生(2011)『就職、絶望期―「若者はかわいそう」論の失敗』扶桑社
海老原嗣生(2016)『お祈りメール来た、日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 』文藝春秋
城繁幸(2006)『若者はなぜ3年で辞めるのか?年功序列が奪う日本の未来』 光文社
城繁幸(2012)『若者を殺すのは誰か? 』扶桑社
玄田有史(2005)『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在』中央公論新社
増田悦佐(2012)「労働力市場を流動化させれば、若者の労働環境が良くなるというのはイス取りゲーム経済学」、『経済学「七つの常識」の化けの皮をはぐ アベノミクスで躍り出た魑魅魍魎たち(第5章)』PHP研究所