2016年2月24日水曜日

プレゼント、寄付、ボランティアと取引行動


全学部コラボ企画、「学問のミカタ」、2月のテーマは「バレンタインデー」です。私も思春期の頃は214日が近付くとそわそわしつつも、大抵は何も起きずに終わる、というふうにかなり意識だけはしたイベントでしたが、いつの間にか何かを期待するということもなくなっています。まあ、何も起きずに終わるとこは今も当時と同じですが(苦笑)。

また、私個人だけでなく、世間においても、一昔前ほど町中がバレンタイン一色に染まるという感じでもなくなってきたように感じます。クリスマスは依然健在であることを思うと、そこにも何か理由があるのかもしれませんね。

 

ところで、日本においてバレンタインデーは、多くのケースで女性が男性にチョコレートなどをプレゼントする、というイベントであると思います(もちろんそうでない場合もあります)。プレゼントとは、言うまでもなく、恋人や友達、お世話になった人などに贈り物をすることです。贈り物ですから、基本的には無償で相手にこちらの財やサービスを提供する行為ということになります。


これに対し、通常の買い物や投資などの取引行動の場合は、互いの合意の下、こちらからも財やサービス、金銭のいずれかを相手に提供するかわりに、相手からも財、サービス、金銭のいずれかを提供してもらうものであり、交換が行われます。

 

また、プレゼントの場合は、大抵の場合、贈る相手は、贈る側が深くかかわっている人物となりますが、人は、自身が必ずしも直接的に深くかかわっているわけではない相手に、財・サービス、金銭を提供することもあります。寄付やボランティアがそれに当たります。

 

つまり、取引においては、契約上、双方が何らかの財やサービス、金銭を得るのに対し、プレゼントや寄付、ボランティアでは、片側のみが得ることになります。ここにのみ注目すると、取引は利己行為、プレゼントや寄付、ボランティアは利他行為ということになります。しかし、もう少し深く考察してみると、そう単純に言い切ることは出来ないことが分かってきます。

 

例えば、プレゼントにおいては、もらった側には確かにそれに対し何らかの見返りを送った側に提供する義務はありません。が、「ホワイトデーのお返しは3倍返しで♪」などという言葉があるように、贈った側は、何らかのお返しや相手が自身に好意的な気持ちをもってくれることを期待している側面があるケースもあるのではないでしょうか。その場合、プレゼントという行為にも利己的な側面があるといえます。

 

 また、寄付やボランティアにおいても、スポーツや旅行を楽しむのと同様に、それをすること自体が、自分に生きがいを与えてくれ、自身の満足度を高めてくれる、という側面もあるのではないでしょうか。さらには、ボランティアで得る経験や知識、人とのつながりが、自身を高め、将来のキャリア形成に影響する可能性を考慮する、という側面を期待する人も中に入るかもしれません。これらのケースを考えると、寄付やボランティアにも利己的な側面があることになります。

 

 もちろん、このように利己的な側面があるとしても、プレゼントや寄付、ボランティアが、相手に望まれていること、必要とされていることであれば、それはやはり素晴らしことです。そして、この利己的な側面があるプレゼントや寄付、ボランティアについては、経済的なインセンティブを設けることでその増進を図ることが出来ます。この時、経済学的な考えはこのような制度を考えるのに大いに役に立ちます。実際、寄付に対する所得税控除などの制度があります。

 

 利己的な側面を強調しましたが、もちろん、純粋に行動対象が幸せであることを目的とする利他の精神で行われているプレゼントも寄付もボランティアも多くあります。ただし、このようなケースであっても、利他の気持ちから発生する行為は全て素晴らしい、とは言えないことに注意が必要です。むしろ、利他を目的とする行為であるからこそ、相手が望んでいる、必要としている行為であるかが重要になるからです。プレゼントにしろ、寄付にしろ、ボランティアにしろ、相手が望んでいないにもかかわらず、それを一方的に押し付けてしまう場合、それは尊い行為とは言えなくなってしまいます。

 

したがって、利他の行為であっても、いや、利他の行為であるからこそ、いったい誰が、どのような経路で、寄付やボランティアをすることが行動対象や社会全体にとって、効率的、効果的で望ましいか、という視点の考察は重要になります。この視点においても、経済学は有用です。

 

このように、通常の取引と違い、原則無償の行為であるプレゼント、寄付、ボランティアという行為に関し、実は経済学の視点からも様々に建設的な考察が出来ます。確かに、経済学は「利他の精神を持った人々をどのように育てていくべきか」という問いには、すぐに答えを提示できるものではないかもしれません。しかし、「様々な思惑から発生する寄付やボランティアといった行為を、社会にとって望ましい方向に導くための社会制度の在り方」という問いには強い力を発揮するのです。

自身も他者も笑顔でいられることを喜ぶ純粋な心と、そのための効果的な制度、どちらも探求していきたいものです。



投稿者 石川雅也